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心のモデル - C.G. Jung

  • Writer: Fumiomi Samejima
    Fumiomi Samejima
  • Jun 3
  • 3 min read
ユング・その生涯と心理学
ON JUNGA. Anthony Stevens, 1990


図:p38ユング


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p38
コンプレックス:
コンプレックスは、ひとつの感情の高まりによって集められた互いに関連し合ういくつかの考え(Idea)の群れ...p41:知ってはいるが現在は考えていないすべてのもの、かつては意識していたが、現在は忘れてしまっているすべてのもの、私の感覚がとらえてはいても、こころの意識がきづいていないものすべて、特に注意を払うわけでもなく、無意識的に私が感じ、考え、覚え、欲し、なしているすべてのこと、現在、私の中に形成されつつあり、いつか意識にのぼるであろう将来のすべてのもの、これらすべて... 私的無意識が形成した機能上の単位...

p38
元型:

元型は脳とこころの双方に共通する生得的「中心」、または、「優性形質」であって、人種や文化の違いを越え、時代や場所の違いも越えて、全人類に共通する典型的経験や行動の特性を始動させ、これに影響を与え、また、その調停にあたる。コンプレックスと元型の間には機能上の緊密な関係が存在する。コンプレックスは元型の「化身」であって、元型が各人のこころの中で自らを表明する拠所となるものである。


このモデルは、三枚の皮をもつ玉葱のようにーもし、それほど簡素化された野菜が存在すればの話だが ー

同じ中心をもつ三つの球体に分けられる。外界層は自我を中心とする意識、中間がコンプレックスをもつ私的無意識、中心が元型をもつ集合無意識である。そしてすべての層の核として、組織全体の調整にあたる自己がある。これらの要素はすべてが協同して、こころの「解剖的構造」を構成する。



p50
元型:
人生にさまざまな典型的な状況があるのと同じ数だけ元型が存在する。無限の反復がそれらの経験をわれわれのこころの構造の中に刻み込んできた。それは内容のつまったイメージとしてではなく、内容のない枠組みとして、ある種の知覚、もしくは行動の可能性を示すものであるにすぎない。

p54
...元型仮説は生物学とこころの生活を和解させたいとするユングの生涯をかけた必然の産物であった...... ...生物学的事実と精神的事実との双方に共通する経験の場が見出せたのだ。自然界と霊(spirit)とのぶつかりあいを現実とする手がかりがあった...

p56自己:
自己はまさに適応のためのこころの器官である。全人格の背後でその統合をとりしきる有能な専門家として、人生の各段階に必要な生活の青写真を取り込んでいくという責任をもつ。そして各人の人生の状況の中で許容しうるだけの調整を取り行う。したがって、自己は目的論的(teleological)な機能、すなわち、各人が各様に人生の目的を成就しようと探求し続ける生得的な機能をもっている。 (teleoとは完全、完成を意味する teleos と、終わりを意味する telos との合成語である。したがって teleology とは完成というコールに達することを意味している)。

ー ユング






 
 
 

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